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受けとめる

コリーン・ダルトン

今日の心の糧イメージ

 私は山々に囲まれた都市に住んでいます。幼い頃からのなじみのある風景ではありません。それでも30年近く住むと、窓から見える山々も親しみのある仲間へとかわります。季節ごとに美しい姿を見せてくれます。春の緑、秋の紅葉、冬の白を纏った様子を前に、自然への畏敬の念につつまれ、友のような親しみをおぼえてあたたかくなります。

 ところが、心の風景があれていたり、少し霧がかかっていたりした時に、この山々はわたしに、重くまた寂しく立ちはだかります。気づくと山々は私の眼の前にそびえ立ち、その向こうにあるものが何も見えなくなります。こうした日に、山々はまるで人生の旅路を遮る障害物のように見えてくるのです。私自身の失敗や弱さの印のように映ります。その嵐が通りすぎ、山々の美しさが戻ってくるまでは、なかなかそこから抜け出せずに悲しくなります。

 四旬節という典礼暦の季節、この復活祭前の40日は鍛錬のときです。

 節制と、他方で広い心をもつように励まされます。

 それはまた山々の影、私たち自身の失敗や欠点という闇に少しばかり長く留まるには、うってつけの機会でもあります。これらをふりかえり、できる限り、良い人間になろうとする勇気を、それも叶わないときには自らを赦す勇気を、見つけようとする時でもあります。

 あらゆる文化にあって、人々は、天へとそびえる山々の上に神々が姿を想像します。こうした美しさは、たしかに私たちの創造主にふさわしいものです。それでも私はこれまで、人生の障害物である山の麓で、むしろ私に寄り添ってくれる神を見つけてきました。

 目にするものが克服すべき短所であるか、または友となるものであるかを見極めながらも。