

生まれたばかりのキリスト教会において、キリスト教へと改宗した人たちの中には、ユダヤ教徒もいましたし、ユダヤ教徒でない人たちもいました。パウロという人は、もともと、ユダヤ教徒として、キリスト教を迫害する立場にいましたが、不思議な出来事によって、復活されたイエスさまと出会い、異邦人と呼ばれたユダヤ教でない人たちに対して、イエスさまの良い知らせを告げ知らせる使徒として活躍しました。
イエスさまの良い知らせを宣べ伝える宣教者としての生涯はとても困難に満ちたものであったようです。投獄されたり、鞭うたれたり、そして、最後には殉教を遂げるのですが、このパウロの言葉に次のような言葉があります。
「だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か。・・・・しかし、これらすべてのことにおいて、わたしたちは、私たちを愛してくださる方によって輝かしい勝利を収めています。」(ローマ 8:35、37)
おそらくパウロは自らの経験から、苦しみや迫害、飢えや裸、危険などの状態や、剣による脅しがあったとしても、キリストの愛から自分自身が引き離されることはない、と高らかに宣言しているかのようです。
私はここにパウロの真の強さを見出します。どんな苦しみがあろうとも、危険があろうとも、キリストの愛を信じ、それを受け止め続けている限り、あらゆる困難に屈することはない、という強さです。
現代に生きる私たちの日常生活においても、さまざまな問題や困難、苦しみがあるかもしれません。しかしながら、それらに決して屈することのない豊かなキリストの愛が、今日も私たち一人一人の上に注がれ続けているのです。