温暖化の影響か、世界の様々な場所で自然災害が発生し、物質的、経済的そして精神的な助けを必要としている方々のニュースをよく目にするようになりました。骨身を惜しまず、多くの方々が支援活動に励んでいる姿を見ると、何か自分にも出来ることはないかな...と考えてはみるものの、「助ける」となると何か大きなことをイメージしてしまい、自分にはちょっと無理かな...と思ってしまいます。
しかし、ちょっとした「手助け」でも大丈夫、といわれると、自分にも何かできそうな気がしてしまいます。
「手」という言葉が入るだけで、なにか肩の荷が降りるような気になってしまうのはなぜでしょうか。
「手」という文字が入ることで、一人ででもできる範囲、人目につかないようなちょっとしたサポートでも何かしら自分が役に立っている気がするからでしょうか。
「助ける」にしろ「手助け」にしろ、相手の困りごとに共感しながら互いに手と手を携えて小さな力を出し合い協力し合うことには変わりありません。助けている時、握った手を引っぱって、相手を支え導いている気がするかもしれませんが、同時に、相手の手を借りながら解決に向けての一歩を踏み出す支えになってもらっていることも確かなのでしょう。
いずれにしても、そこに誰かの手のぬくもりが感じさせられるところに、他者や自分自身を支える力が生み出されるのだと思います。
「助ける」は、手助けをはじめお手伝いや力添え、アシストやサポートなどとも表現されます。表現の違いやその言葉から感じる重みは人それぞれ違うのかもしれませんが、言い換えることばが多いのは、私たちがそれだけ互いに支え合って生きていきたいという思いの証なのかもしれません。