なぜ、神は人間に苦しみを与えるのだろうか。人間の苦しみには、一体どんな意味があるのか。その一つの答えは、苦しみを味わった人には同じような苦しみを味わっている人の気持ちを想像する力が与えられるということだ。
病気の苦しみを味わうことによって、私たちは病気の人たちの気持ちを想像できるようになる。肉親との死別の苦しみを味わうことによって私たちは同じように肉親を失った人の気持ちを想像できるようになる。
苦しみを味わうことによって、わたしたちは、同じような苦しみを味わっている人の苦しみを想像し、その苦しみを自分自身の苦しみのように感じることができるようになるのだ。苦しみの体験はわたしたちに、人の苦しみに共感する力を与えてくれると言っていいだろう。
苦しみに共感してくれる人の存在は、苦しみの中にある人たちに大きな力を与える。私たちの苦しみをまるで自分のことのように思い、隣で一緒に泣いてくれる人がいれば、私たちは大概の苦しみを乗り越えて行くことができるだろう。苦しみの中にある人にとって、共感してくれる人の存在はまさに救いなのだ。
イエスが十字架上で苦しみを味わったことの意味が、ここにある。十字架上のイエスが味わっている苦しみは、人類の苦しみを共に担うための苦しみなのだ。イエスは、苦しみを取り去ることによってではなく、苦しみを共に担うことによって私たちを救って下さる方なのだ。
神は、苦しみの体験を通して私たちに、誰かの苦しみに共感する力、誰かの苦しみを共に担う力を与えて下さる。それは、一つの召し出しと言ってもいいだろう。
苦しみの体験を通して私たちは、苦しみを味わった者にしか果たすことのできない救いの使命を神から受け取るのだ。