私はアシジの聖フランシスコと「平和の祈り」を想いめぐらした。
主よ、私をあなたの平和の道具にして下さい
憎しみの在る処に愛を 諍いのある処に赦しを
分裂のある処に一致を 疑いのある処に信仰を
誤りのある処に真理を 絶望のある処に希望を
悲しみのある処に喜びを
闇には光をもたらすことが出来ますように
主よ、慰められるより慰めることを
理解されるより理解することを
愛されるより愛することを求めさせて下さい
私たちは与えるから与えられ
ゆるすからゆるされ 自分を捨てて死に
永遠の命をいただくのですから
1182年イタリア中央部の町アシジの裕福な呉服商に生まれた陽気でやんちゃなフランシスコは、戦で傷つき、魂の放浪中、古い教会の十字架から「私の教会を建て直して下さい」というキリストの声が聴こえた。彼は父の店の高価な衣服を売って教会の修理を始めたが、それに父が怒り、裁判となった。父との縁を切るべく、神を天の父と仰ぐ信仰を宣言した。
友人が次々と加わり、愛に満ちた教会となり、やがて貧しいキリストに倣う修道会【フランシスコ会】を創設。腐敗した中世の教会を見事に立て直した。
彼は【喜びの聖人】として知られ、また、小鳥に説教したりしたこともあり、親しまれている。
彼は聖痕というキリストの十字架上の傷を受け、その痛みも病も喜んで堪え忍んだ。死の間際、ベッドで死ぬのは申し訳ないと裸で床に寝て天の御父を讃え、死をも友だと呼んで歌いながら天に召された。45歳だった。
とことんキリストに倣った彼は、キリストと共に今も永遠に生きて、罪深い世に生きる私たちを平和の祈りで救って下さっていると私は思う。