「生きる」ではなく「生き抜く」というと、平穏無事な日常ではない様々な困難に遭遇する中で、知恵を絞り工夫してその状況をすり抜けて生きていくという健気さを想像します。
戦時下を生き抜くというと、現在ではまず、ウクライナの人々とイスラエル紛争の只中にいる人々を思いますし、私たちの親世代は、太平洋戦争後の混乱の世の中で如何に生き抜いたかを繰り返し語ってきました。
そして、災害復旧までをともかく生きぬかなければと、能登半島地震の被災者の皆さんは現在必死に頑張っていらっしゃいます。
「抜く」は「貫く」と似た意味で使われますので、最後までやり遂げるという意味合いがあります。とすれば普通に「生きる」でも最後死を迎えるまで生きるわけですから、「生き抜く」というのは生きる使命を帯びていて、やり遂げようと努力し続ける生き方を指すのではないでしょうか。
聖書にあるキリストのたとえ話の、主人からタラントンを預かった僕のように、私たちは神様からそれぞれの特性を授かって生まれてきたはずです。体質、性格、能力などで、それがどのように組み合わされるかによってその人ならではの個性が確立され、職業の選択を始め、歩むべき人生の目標が見えてくるわけです。
神様が用意して下さった人生と思えば、困難に遭遇し逆境にあってもそれを試練と受け止め生き抜いていけるのではないでしょうか。また、神様の御計画に人間一人一人の役割があり、自分の人生も組み込まれていると悟ると自信も生まれます。
私は「神の絵筆」になることがあなたの召し出しであると、神父様から背中を押された日から、既に半世紀近くなりますが、いつも祈りの中で感謝して描かせて頂いております。