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生き抜く

西田 仁

今日の心の糧イメージ

 キリスト教において、キリストのご復活はご誕生のクリスマス以上に重要なことであると私も頭では理解しているつもりである。

 私の記憶する限り、キリストのご誕生については待降節になると教会で「よろこび歌え」という言葉を耳にするが、それ以外の季節であまり耳にしない。それに比べ、「キリストの御復活」と「永遠の命」という言葉は四旬節以外でも頻繁に耳にする。これひとつとっても、おそらくキリスト教の中で、「御復活」はその根幹にあるのであろう。

 私は幼児洗礼であった為、物心ついた時から、意味も分からずこれらの言葉を耳にしていた為、深く考えずに受け入れてきたが、キリスト教で無い人達には一番とっつき難いところなのではなかろうか。

 かく言う私も、実のところよく分からない。

 決して、「キリストの御復活」や「永遠の命」を疑っているわけでは無い。敬虔な信者の皆様からはお叱りを受けるかもしれないが、臨終を経験したことが無いので、死後のことはピンと来ないのである。しかしながら、生きている間のこと、その生き様は自分の中で受け止めやすい。

 教会で十字架に架けられたキリストの像を見るとき、この結末を知っていながら、私たちの罪を背負うため、その最後の瞬間に向かって生きぬかれた御姿として私の心に入ってくる。だからこそ、多くの芸術家がキリストの昇天を美しい絵画に描いているが、私には十字架上のキリストほどに訴えかけて来るものが無い。魂の復活を疑っているわけでは無いので、私のような不良信者は難しいことは後回しにして、死後のことは死んでから考えることにしよう。まずは今、神様が与えてくださったはずの役目を生き抜こうと、十字架のイエスを見て思う。