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光と影

崔 友本枝

今日の心の糧イメージ

 私たちの住む地球には、光のあるところに必ず影ができます。

 影は私たちの内面にもあります。ですから、素晴らしい人に欠点を見つけても「仕方ないわ、人間だもの」と諦めるのです。

 ところが神さまは全く違います。

 聖書の「ヨハネの第一の手紙」1章にはこうあります。「神は光であり、神には闇がまったくない」(1・5)。神さまは、闇、罪、悪とは無関係な方、愛そのもの、善良さそのもののお方です。そして「神が光の中におられるように、私たちが光の中を歩むなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血によってあらゆる罪から清められます」(1・7)と続きます。

 「御子イエスの血によって清められる」とは、イエス・キリストが二千年前、エルサレムで人類の身代わりとして十字架上で殺されたことを指します。

 「神の命」という代価が支払われたので、私たちの罪は「悔いるなら」ゆるされ、神の子に戻れるのです。そのことは知っていましたが、ある日、このみ言葉に触れて、私は急に目が開かれたように解放感を味わいました。

 幼い頃からイエスさまが大好きでした。けれど、素晴らしいこの方に近づくにはもう少し立派な人になってからでなければならない、と思い込んでいたのです。よく読むと、ここには "光の中に入り、神さまとお付きあいした人が罪を清められる"と書いてあるのです。清められてから光の中に入るのではありません。

 「罪をもったまま私のところにおいで。私があなたの泥をぬぐってあげる。そのまま私の胸に飛び込んできなさい」と私たちは言われていたのです。「私は、このままイエスさまに近づいていいんだわ!」と心から嬉しくなりました。