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光と影

服部 剛

今日の心の糧イメージ

 神様はどのような方か? と想い巡らせる時、思い出すのは、マタイによる福音書18章の「迷える子羊」の喩え話です。

 イエスは次のように語ります。

 「ある人が羊を百匹持っていて、その一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、迷い出た一匹を捜しに行かないだろうか」(18・12)

 人は誰でも、「迷える子羊」になることがあるかもしれません。私自身、歩いてきた道をふり返り、いくつかの挫折を思い出すと、思春期の失恋だったり、職場での人間関係だったりします。悩みの渦中にいる時は苦しく、暗中模索で、〈光が見えない...〉と感じたものでした。

 しかし、歳月を経ると、それらの挫折があったからこそ人の痛みや哀しみを知り、天から大切なメッセージを与えられたことに気づきます。

 神様の姿は目に見えず、〈あなたは一体何処にいるのですか〉と絶望することもあるでしょう。沈黙しているかのような神様は、すぐには解決してくれないように思えますが、実は、出会う人々や出来事を通して「迷える子羊」を導こうとしています。それには長い時間を要することもあるでしょう。それでも、一人ひとりの人生に神様は物語の続きを準備しているという実感が、私にはあります。

 「迷える子羊」と共通するメッセージを伝えるのが、ルカによる福音書15章の「放蕩息子」の喩え話です。(15・11~32)

 光と影の画家といわれるレンブラントが、このテーマを描いた絵には放蕩の限りを尽くし、無一文になり、貧しい身なりで帰ってきた哀れな息子を抱く父親の姿があります。その絵を観ていると、どのような人間をも、言葉にならない想いで愛する神様の深い慈しみが、静寂の裡に伝わってきて、私は勇気をいただくのです。