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光と影

シスター 萩原 久美子

今日の心の糧イメージ

 最近では外でかけっこをして遊ぶ子供たちの姿を見かけることは少なくなりましたが、先日、久しぶりに影踏みをして遊んでいる子供たちを見かけました。私も小さい頃、友達と学校や教会の庭で影踏みをして遊んでいたことを懐かしく思い出し、お友達の影を追ってはしゃぐ子供たちの笑い声を聞きながら、ふと「かげふみ」のカゲってどっちの漢字を書くのだったかなとぼんやりと思ったことでした。

 「影踏み」や「影が薄い存在」というときに使う漢字は、「さんづくり」の方の影で、物体が光を遮ったときに、光と反対側にできる「影の形」のことを指しているようですが、太陽や月、星などの光のことも影というようで、「月の影」というと「月の光」(月の姿)を意味するとは意外でした。

 ちなみに、「陰で人のことをうわさする」や「陰で人を支える」の「こざとへん」の陰は、物にさえぎられて光の当たらない「場所」を表しているそうです。

 科学技術が発展していく世の中。便利なもの、人々の興味関心を引く光の部分は強調されやすく、大々的に報じられます。しかし、光の裏に隠された、小さくされた人々の苦労や悲しみの人生は闇に葬られがちです。子供たちが影を追って走るように、影の部分にも目を背けず、目を向けていくことが必要なのだろうと思います。

 それは時に、うまくいっている物事に「影を落とす」ようなことであるのかもしれません。しかし、「さんづくり」の影には光の意味もあるように、見えない部分、人々が避けて通るところに光を投げかけることにもつながるのでしょう。光と影、その両方に関心をむけられるようになりたいものです。