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自然への感謝

植村 高雄

今日の心の糧イメージ

 青春時代、心が傷ついたり、生きることが嫌になったり、人に会うのが怖くなることがありました。それも高校1年生のときの思い出には、かなり激しいものがあります。

 特に母が病気で死んで、空腹のあまり他人の庭の柿の実を盗み食いしたときなどは、何と自分は酷い人間だろうと悩みました。第2次世界大戦が終わり、数年たった頃の想い出です。

 そんな悩みを抱きながら、教会がどんな所か知りませんでしたが、何故か飛び込んだ場所がカトリック教会でした。すると赤い鼻をした外国の人が出てきたので、怖くなって飛び出しました。あとで、その方はドイツの神父さんだと知ります。その神父さんは、訳の分からない悩みを語る私に、よくわからない話をするのです。嫌になり郊外の森を散歩したときに、突然ですが、リスが藪から私を見ているのに気づきました。

 「おや、こんにちは」、と声をかけてしまったのですが、逃げません。ジーっとこちらをみているのです。おやおや、と思って近づこうとしましたら、突然、逃げ出しました。そして、そこには美味しそうな山イチゴが沢山実っていました。おなかがすいていた私は、一時間かけてリスさんの宝物を全部いただいてしまいました。あとで、しまった、とリスさんに謝りながらも大満足して帰宅しました。

 この思い出とそのドイツの神父さんのお話がその後の私の人生を大きく変えていきます。傷つき悩みの中にいた高校生の私、その心をのびのびと自然に大きく育てるきっかけが、この大自然の中で出会った、野イチゴとリスさんとドイツの神父さん。

 神様の摂理は色々の形で私にあらわれてきたのだなあ、という想いでいます。