親友がイタリアからのお土産として買ってきてくれた手帖を大切にしています。表紙カバーには刺繍した生地が貼ってあります。赤い花が二輪、茎は金糸、そしてその周りには銀色の小さな花がたくさん散りばめられています。この手帖には私にとって大切なことを書き記しています。
今から10年近く前のこと、死生学者のアルフォンス・デーケン神父の少年時代の絵本を作ることになり、私は文を担当することになりました。
この絵本は途中でデーケン神父の心臓の手術があったりして、もう完成を見ることはないとあきらめていましたが、奇跡的に回復し、また私はメモをとりつつ文を綴り始めました。少年時代の文が完成した頃、ふと、死生学をライフワークとしてきたお方は、人には死を恐れないようにと話してきたとしても、ご自分はどうなのだろうと疑問が湧いてきました。
文の最終確認のためにデーケン神父を訪ねた時に、何かに促されるように、デーケン神父は、死を前にしたご自分の心境を語り始められました。私はいつも持っている手帖を出して書き留めました。私たちの日々はすべて過ぎ去り、生から死へと移って行きます。デーケン神父にとって死を通ることは「美しい冒険」なのでした。最後の言葉を紹介したいと思います。
わたしはずっと「生と死を考える」ことをライフワークとしてきました。
生きるとは、「日は昇り、日は沈む」、その繰り返しでした。
しかし、天のふるさとに行ったら、わたしが仰ぎ見るのは、
もう昇ったり沈んだりしない太陽です。
それは神さまの御顔(みかお)なのです。
死を通って天のふるさとに行くことこそ、
美しい冒険なのだと思います。
(アルフォンス・デーケンS.J.)