数年前、我が家の梅の木にダニがびっしり張り付いた。
庭師さん曰く「今年はこのダニで沢山の梅の木が枯れました。お宅のもだめでしょう」ええ?!自分では何もできない梅の木、さぞ気持悪くて辛かろう。このままでは可哀そう・・・。私は気持ち悪いのを堪え、手袋をして幹から順次はぎ取ってやった。ダメ元でいいからと消毒も頼んだ。
翌年春、その梅の木がほんの少し花を咲かせた。その凜とした咲きぶりにいのちの尊厳を見た。
その次の年の春には、驚く程満開に花を咲かせ、実も8キロ採れた。その実をお裾分けした友人が言った。「梅の木があなたに感謝して恩返ししたのよ。きっと!」私も同感で喜んだ。そして唐突に、アボカドの種を育てて体験していることを思い出した。
長女に教わりアボカドの種に爪楊枝を3本差し、種の底を水に浸して台所の窓辺に置いたら、忘れた頃に小さな芽が出た。窓の開閉毎に指先で撫でていると、その芽が5センチ程伸びて葉も5枚、手のひらサイズに大きくなった。毎日撫でていると、また新しい芽を出し、成長した。アボカドの芽は撫でると成長ホルモンを出して育つ様だ。今では1mのアボカドの木になって大きな葉を10枚つけている。余り大きく育つと置き場所に困るので、今はアボカドの先端の芽には触れないようにしている。
植物も人間も万物の創り主である神様にいのちを与えられ、生かされている。いのちの根源の聖なる領域では、互いに繋がり響き合うことができるのだろう。手や体で触れるとその繋がりがより深く活性化される様だ。
コロナ禍で閉じ籠った4年間・・・身近な梅の木やアボカドを通して、いのちの素晴らしさを体感し、感謝する日々である。