自然界のいのちあるすべてのものは、神によって造られている――これは、聖書の語る自然観です。「あなたは存在するものすべてを愛し、/お造りになったものを何一つ嫌われない。憎んでおられるのなら、造られなかったはずだ」。(知恵の書11・24)
人間は、そのような自然の一部です。ですから、自然と人間とは、本来対立し合うものではなく、むしろ、互いに共生・共存し合うべきものです。いわば、一つのいのちの共同体を形成しています。
人間は、神から、他の生き物の世話を託されました。ところが、ある人々、とりわけ権力を持った富裕層は、それとはまったく逆に、自然を自分の利益のために支配してきました。その結果は、現在この地球上で起きているさまざまな異常気象や、それらに起因する災害を見れば明らかでしょう。
自然への敬意と感謝――これは、私たちがまず心に留めなければならない点です。教皇フランシスコは、『ラウダーテ・デウム――気候危機について』の冒頭で、次の聖書の言葉を引用します。
「野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった」。(マタイ6・28~29)
教皇はまた、*「人間のいのちは他の被造物なしでは理解することも持続させることも不可能である」と語ります。
人間は、自然によって生かされ養われている――私たちはもっと謙虚になって、この素朴な事実に気づき、喜び、感謝の念を抱きたい、とそう願います。それによって、私たちは、さらに周りの人との和解、自然との和解、そして神との和解へと招かれるでしょう。
*(使徒的勧告 ラウダーテ・デウム 67)