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大切なこと

岡野 絵里子

今日の心の糧イメージ

 復活祭が過ぎると、新しい季節が開かれていく。復活祭は、春分の後、最初の満月から次の日曜日。生命たちが嬉しそうに身動きする気配が感じられるようになり、冬には凍った土の中に眠っていた種子から、さまざまな花々がほどかれるように咲き始める。それが春であり、再び生きる喜びのあらわれなのだと思う。

 そして私たちは、生きる喜びと言っても、それは決して無傷なものではないこと、復活されたキリストが脇腹の傷痕を持ち、それを弟子たちに見せてくださったことを思い出す。

 或る高層ビルのエレベーターホールで、うろうろと歩き回る不審な様子の女性を見かけたことがある。私と家族がエレベーターに乗ると、ほっとした表情になって彼女も乗り込んで来た。ご本人の説明によると、昔、ニューヨークで大停電を経験し、長時間エレベーターの暗闇に独りぼっちで閉じ込められる経験をしたのだという。彼女にとっては恐ろしい経験で、それ以来一人ではエレベーターに乗れなくなったのだそうだ。

 人は見えない傷を抱えている。災害によるPTSDに限らず、また恵まれた生活を送っているようでも、様々な理由で心は傷を負う。この女性は明るく説明をしてくれたが、口に出せず抱えている人の方が多いだろう。

 隠れている傷を思いやれる気持ちを常に持っていたいと思う。変わった行動を取る人も、頑張りすぎている人も、実は傷を癒そうとしているのかもしれないから。

 キリストも衣の下に傷を持っておられた。それは御自身であるという徴であり、復活の証だった。私たちの傷も、生きてきたしるしなのだ。そう思うだけで励まされ、復活の光が望めるような気がする。