自分は何の為に生きているのか?この難問は人類の永遠の課題のようです。
さて私が小学3年生の頃、6歳上の姉に大切なチョコレートを横取りされて泣いた記憶があります。時代は第2次世界大戦の頃で、なかなか美味しいチョコレートは頂けませんでしたので、チョコレートは私の大切なものでした。
その後大人になり社会に入りますと、大切なものが、どんどん変わっていきます。チョコレートから男女の友達、父母、仕事と、色々出てきます。
高校生の頃、洗礼を受け聖書を読みだしたのですが、この影響もあって生き方がまた変化してきます。ましてヨーロッパやアメリカ、南米などに旅をして色々の文化や肌の色の違う人々と交際すると大切なものの種類、内容が激変します。自分で一番呆れた変化はお金に対する執着でした。愛するものが人であれ物であれ、その時々の状況で「大切なこと」が入れ替わります。そして、ある時期、劣等感、罪悪感、絶望感に何となく異常を感じだします。その結果、生きる楽しみ、希望が薄らぎ、心の不安から友情を失い停滞感や絶望感が激増したのです。
この頃、メキシコに旅をした折、ご縁があり「グアダルーペの聖母マリア様ご出現で有名な教会」を訪れました。大自然の海や山、美しい湖や森で人は暗い心が突然、明るく元気になります。その訪問以来、大切なものが「永遠の生命への憧れ」に変化したのです。
大切なものの内容が何故、変化していくのか、その理由は私にはわかりませんが、内容をチェックしないと人はいつも落ち着かない日々を送るようになるようです。
時々立ち止まり、心静かに点検すると幸福感と爽やかな気分が増えそうです。