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安らぎ

松尾 太 神父

今日の心の糧イメージ

 「もし宇宙人と出会えたら、やってみたいことは何?」「そうだなあ。一緒に炭坑節を踊りたいね!」

 そんなくだらないことを言ったとしても、笑い飛ばしてくれるような友との対話は、かけがえのない時間です。

 一見意味のない、他愛もないこと、いわゆる莫迦なことを言い合える相手と過ごす時間の中には、意味のないことを話せるからこそ、とても意味を感じる瞬間があります。しょうもないと思われるような夢物語や突拍子もないことを語りあいながらも、あたたかい思いを共有できるだれかがそこにいてくれるなら、それはもはや奇跡です。

 何を言っても大丈夫、という相手に巡り合う機会は、多くないかもしれません。でも、莫迦な話にもいくらか応答してくれる人がいると、生活に安らぎが満ちてきます。いろいろな角度から物事を眺める余裕が生まれます。たとえ批判されても、学ぶ姿勢を保つことができます。

 つくづく思うのは、アダムとエバが互いにそうであったように、神様が人間に与えてくださった最高のプレゼントは、もう一人の人間だということです。

 安らぐことができる相手、それは、「何でも聴いてくれる相手」と言ってもいいのかもしれませんが、少し違うように思います。

 何も話さなかったとしても、意味のないようなことを話していたとしても、そこにともにいてくれる相手。いてくれるだけで渇いた心も潤される相手。沈黙の中にさえあたたかさを感じることのできる相手です。

 そんな安らぎに満たされるのを、十字架を前に祈るときにも感じます。十字架に現される、わたしたち弱き人間に命懸けで寄り添い続けたキリスト・イエスの愚かなまでの愛は、バラバラになりそうな心さえつなぎ合わせ、あたためてくれるのです。