「人間はさ、どげんな人間でん、眠っとるときには悪かことばせんとよ。じゃけん、どん人も眠っとる時の顔は安らかたいね」と父母は言っていた。
五島の我が家は千客万来、老若男女、キリスト教あり、仏教徒あり、ありとあらゆる人々が集っていた。
時々は、たった今、刑務所から出てきたばかりの人を泊めることもあった。
しかし、私の覚えている限り、大ごとになったことはない。
父母は全身全霊神さま、イエズス・マリア・ヨゼフさまを信じていたから、必ず守ってもらえるものだと思っていた。
公共要理にあるとうり、「人がこの世にいるのは天主を認め、愛し、これに仕え、ついに天国の幸福を得るためである」と信じ切っていたから、人の世話をするのは天国への近道だと5人の子どもたちに身を持って教えてくれた。
今日も生きた、精一杯生きた、神さまのみ旨に背かないように生きたというその思いが父母を支えていた。
それは私たち5人の子どもに引き継がれた。
実弟が4年ほど前に召される前、弟に私はたずねた。
「今はどげんな気持ちね?」と。弟はひとこと「さわやか」と答えた。
その二日後、弟は永眠した。
今、思うに、弟は永遠の眠りの意味をよく理解していたのかもしれないと・・・。
一晩眠るだけでも、眠りの間は何の邪気もないし、悪いことはしない。それが永遠の眠りとなると、今から眠ります、悪いことは致しませんと神さまと約束したことになる。それこそ、永遠の安らぎだと私は弟の死を通じて教えられた。