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安らぎ

湯川 千恵子

今日の心の糧イメージ

 去年の正月に米寿を迎え、感謝して過ごしている内に、また新しい年を迎えた。

 過ぎ去った日々を振り返ると、人生の岐路に立って暗闇で迷う私を正しい道へと招く光の存在に導かれた気がする。

 それが「恵みと真理の光」イエス様だったかと今にして想う。

 長女のカトリックの幼稚園でキリストの教えに触れた。不変の真理を求めていた夫が惹かれてクリスチャンになりたいと言い出した。始めは大反対だった私も、夫の熱意にほだされて二人の幼児と共に一家で洗礼を受け、神の子となった。このことがどんなに有難い恵みだったか!未熟な信仰者の私が事ある毎に神の慈しみを受けて喜び、安心した体験が私の人生の確かな土台となったからだ。

 今私は、福祉の家事援助を受けて身の回りの事が何とかできるので、感謝して一人暮らしを楽しんでいる。

 ロザリオの祈りを唱えながら近くを散歩するのが夕刻の楽しい日課だ。ロザリオの祈りは、神のみ子で世の救い主であるイエス・キリストの生涯を黙想しながら、自分の弱い心の傾きを、「あなたの揺るがない信仰に倣わせ給え」と願い、神に取次いでくださるよう聖母マリアに頼む祈りである。

 神は母マリアの体も魂も天の栄光に上げられた。私も天の国を求め、永遠の喜びに入れるようにとロザリオで祈っている。

 高齢になると、元気そうでも腰や膝が痛み、また心配事や不幸な事柄が増えて気が沈む日が多い。しかしロザリオを祈りながら歩くと、「いつも共にいる」(参 マタイ28・20)と約束されたイエス様が本当に一緒に歩いて下さっているようで、「全てをみ手に委ねます」と安らいで帰宅している。

 神のいのちと共に永遠に生きる天国の福楽は、想うだに心が弾む。

 どうかそうなりますように!と祈る毎日である。