キリストは、門を叩けば開かれると教えておられます。だから勇気を出して門戸を叩いてみよ、という意味でしょう。私自身も、これまでたくさんの門を叩き、閉ざされたり開かれたりしてきました。
この経験をさらに進めて考えると、まだ開かれていない門を叩くということは、その前にまず、自分自身が持っている心の出口を開けるということでもあると思います。まず自分の扉を開けて一歩踏み出し、次の段階の世界、あるいはより広い世界に行くために、ほかの誰かに開けてほしい門を叩くからです。
言い換えるとそれは、自分の心が知らないうちに作ってしまっているかもしれない限界を、自らの力で破ろうと決めることでもあるでしょう。決心も勇気も、勢いも要ることです。しかし、ときにはそこを乗り越えなければならないこともあるでしょう。
私はこの決意をする度に、イエスの言葉を励ましにしています。たとえ百の門が閉ざされても、101番目の門は開かれるかもしれない。その希望を捨てずに自分自身の扉も開けながら進み続ける力を、イエスはくださっていると感じるのです。
新年という時期を、何かに踏み出す良いきっかけの一つと考えると、躊躇いに打ち勝つことができるかもしれません。場合によっては、叩く門を変えるという選択もあるでしょう。現在叩いている門が閉ざされた後に、あれはもう一つの適した門が開かれるためだったのだ、と感じた経験を、私も数多くしています。神様が用意してくださっているはずの新たな扉を探すことも、私たちに与えられた役割なのかもしれません。
今年開かれる門が良き道への入口となるように祈りつつ、新たな年へと歩みだしたいと思います。
*このお話は2024年1月にラジオ番組で放送されたものです*