癌の末期を迎えた父は、人生の旅路の終盤を過ごす場所として自宅を選びました。
ところが当時の私は入院が必要なほど病弱で、父を一人で看護するどころではなかったのです。「入院してくれたら私も助かるのに」という思いを持ったまま、父の在宅ホスピスはスタートしました。
父は自宅での日々がとても嬉しかったようで、度々「幸せやね~」「ありがたいね~」と口にしていました。そしてその"言葉"は聖霊を受けて、私の心の向きを変えていきました。イエスの声に振り向いたマグダラのマリアのように私の心の目が開かれて、その中にある真実が見えてきたのです。
要求が多い病人の中におられるのは孤独な花婿キリスト!
忙しい私を10分おきに呼び寄せるのは善き牧者イエスさま!
食べこぼし、食べ残すのは幼子イエス!
横たわっているのは船の艫の方で眠るわが師イエス!
そう、そこにいるのは父の着ぐるみを着たイエスさまだったのです!そう気づいた時から日常が変わりました。体力的にはとても厳しい日々でしたが「イエスさまをお喜ばせする!」というシンプルで軽やかな気持ちになってきました。
そして医療チームのお支えやたくさんのお祈りに励まされた上に、週末には甥っ子たちが入浴介助などを手伝ったり、労ったりしてくれたのです。こうして力強い助けを受けて、父と私は歩み続けることができました。
そうした日々の中で父は体力や気力など、神さまからお借りしているものをゆっくりと手放し、旅立ちの準備を進めていたようです。その頃父は「うれしい・・幸せや・・」と口にすることがありました。
時が来て、父は与えられた命を生き尽くし、孫たちに手を握られる中、天へと帰って行きました。