人生を「旅」に譬えて、歩いてきた「路」を振り返り、もう一度自分の人生を確認する事がありますよね。
私の勤めている病院が、75周年を迎えるにあたり記念誌を作る計画となり、私はパソコン操作も皆無に等しいのに、何故か参加したいという衝動に駆られ、迷惑をかけると知りながらも参加しました。
当院が創立された理由とその歴史、今現在、そして将来は?と言う流れで記念誌は綴られてゆき、作業の過程で私はこの病院の「旅」を最初から見る事が出来たのです。
そこには神様のみ旨と救いの計画がありました。その旅はとても過酷で、私には到底無理だと感じましたし、ましてや当時の修道生活は、今では考えられないものでした。
しかし私の先輩シスター方は、今日一日を、明日も出来ることからと、コツコツとやり遂げ、その時々に一生懸命自らを捧げ尽くしたのです。
順風満帆ではなく、さぞ苦労と失敗の連続だったでしょう。
それでも、自分たちの近くに、救う命・守る命がある限り、きっと、どんな苦労も当たり前だと思って、ありのままを受け止め、次のステップを踏んでいたのではないかと思えるのです。
笑顔で子どもを抱いて育み、農耕作業に出かけ、精米所で働いて医者を育てる現金収入をつくり、歩いて行商にも出かけました。
産婆の仕事をしながら過酷な日々を必死に生き抜いた先輩たちの姿を表わした写真は、今の私の生活に鞭と凛としたものを与えてくれます。
「しっかりしろ!私。くじけるな!大丈夫だ。神様がついている。」とハッパをかけ、自分で励まし、慰めています。
誰でもどこかでこれまでを振り返り、試練をも糧にして、神様の恵みとして味わう時、感謝と勇気と慰めを戴くのだと思いました。