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旅路

森田 直樹 神父

今日の心の糧イメージ

 「旅路」と聞いて、思い起こす聖書のお話があります。それは、イエスさまの十字架上での死後、二人の弟子がエルサレムという街からエマオという村へと歩いて出かけるお話です。道中、二人の弟子がイエスさまの最後の出来事について話し合っていると、イエス様ご自身が近づいてこられます。しかし、二人の弟子は気づきません。イエスさまは二人の弟子に尋ねられます。「歩きながら、やり取りしているその話は何のことですか。」(ルカ24・17)

 すると、クレオパという弟子がイエスさまの出来事を話し始めます。加えて、その日の朝早く、イエスさまのお墓に出かけた婦人たちに天使たちが現れ、『イエスは生きておられる』と告げたことも話します。

 これを聞いたイエスさまは、聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを二人の弟子に説明されます。

 夕暮れになり、まだ先へ行こうとされるイエスさまを二人の弟子は無理に引き止めます。「一緒にお泊まりください。そろそろ夕方になりますし、もう日も傾いていますから。」(ルカ24・29)

 その後、一緒に食事の席につかれたイエスさまは、パンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いて二人の弟子に渡されます。すると、二人の弟子はイエスさまだと気づきます。ところが、その姿は見えなくなってしまいます。

 これは、復活されたイエスさまが弟子たちに現れるという不思議なお話ではありますが、私たち一人一人の人生の旅路にも同じようなことが起こっているのだと私は思います。私たちが気づいていても、気づかなかったとしても、イエスさまは私と同じ人生の旅路を歩んでくださるのです。そして、時折、様々な出来事や出会いを通して、御自身を現わしてくださるのだと私は思います。