50年余り前、父が召された時、母は悲しい中でも一抹の光を見つけたような表情で言った。
「父ちゃんがさ、終油の秘蹟ば授けてもらった時に、松下神父さまが『よく捧げましたね、本当によく捧げました』っち、褒めてくれたとよ。じゃけん、父ちゃんはよ、すぐに天国へ行ったっち思うとよ」。
父の死因は喉頭肉芽腫であったので、喉が痛くてそれは苦しんだ。
日頃の父は我慢強い人であったが、よほど苦しいのか、長男の兄に対し、「こんグリグリばとってくれろよ」と懇願した。
でも、弱音を吐いたのはその時だけで、あとはロザリオを握りしめてその苦しみに耐えた。
その数年後、母の姪で、私の年上の従姉が危篤状態の時、母と一緒に見舞った。
従姉は内臓のガンで痛みに耐えていた。
母は「T子、捧げろよ。捧げて、捧げて、天国に迎えてもらえよ」と言いつつ、やさしくやさしく背中を撫でてやっていた。
母は「T子はよく捧げたけん、天国に迎え入れてもらっとるっち思う」と従姉の死後、そう言った。
20年余り前に召された母も、よく捧げたので、天国へ招き入れられたと信じたい。
捧げるといえばこの世で一番捧げ尽くした人はイエズスさまだと私は思う。
十字架上で自分の意思では身動きもできない状態で、やりで突かれて召されたのだから。
肉体的にも辛かっただろうが、精神的にはお母さまのマリアさまが見守られる中での死である。心身共に捧げ尽くしたのであった。
その心身を想像するだけで涙が出る。
私も最期の時には、イエズスさまを黙想して、苦しみを捧げたいと思っている。