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導かれて

シスター 山本 ふみり

今日の心の糧イメージ

 私達には、導いてくださっている方が必ずおられます。

 一人だと思っていても、実は直ぐ傍にいて導いてくださっている方がおられるのです。

 何か決断する時、迷っている時、こうした方がいいと導いてくださるまた、自分で決めたかのように思われる時でも実は、導いてくださった方がおられます。そこに神様の存在を感じるなら最高ですね。

 私の修道召命もそうです。

 実家の近くに修道院がありました。大叔母も伯母もそこにいましたし、教会も近かったので将来はそこで働けたらいいなあーと思うようになりました。農耕で生計を立て、親と離れた生活を余儀なくされた子供達のお世話をしながら、教会奉仕をする姿に尊敬の念が芽生えたのだと思います。

 父は神父になりたくて一度は修道院に入ったことがあります。母も修道女になりたくて修道院に入会した経験があります。

 ある時私は母に「今でもシスターになりたかったと思う?」と尋ねると「なりたくてなれるものではないからねー」と。

 それを聞いて私は、修道召命に最後まで応え尽くすことの尊さを知らされました。

 修道生活は、一人の力で出来るものではなく、そこにはどうしても神様の導きが必要です。先輩シスター方、共に生活する仲間、同期生や同級生、後輩、また共に働いてくださっている職場の方々と患者様も、神様が準備してくださっているかのように思います。

 問題は、その導きに私が委ねきれるか?にあると思います。

 何か大きな力と導きがあることを認識して聴く。受け止める。そして話し、行動する。

 生涯の終わりに、遠回りし過ぎたなと思う時にこそ、完全に導かれていたと神様の存在を感じることができますように。

 こんな私ですが、最後まで宜しくお願いします。