作家と言われる人の中でも、物語の導入が大変上手な書き手と、そうでもない人がいるようだ。
上手な作家の物語は、いつの時代のどんな場所の話なのかがすぐわかり、雰囲気に引き込まれる。この雰囲気を呼吸するかのように、出来事や事件が生き物となって立ち上がって来るのだ
詩でも同じで、初めの3行でその詩人の力量がわかる、とも言われている。
だが実際のところ、すぐれた詩は1行目が始まる前にわかるものだ。詩には余白というものがあって、小説でいう雰囲気が詰まっている。
この空気のようなもの、詩の小宇宙をちゃんと創り出せることが、すぐれた詩の条件の一つなのである。
しかし、作家や詩人がいくら素晴らしい作品を書いても、その本を手に取らなければ、読者が物語世界に導かれることはない。
何かに導かれて救われたい、自分の人生をより良いものにしたい、と実は誰もが思っている。確かに、苦境にある時、見えない力が導いてくれたかのように、新しい仕事や人間関係が思いがけない時に与えられ、それで人生がひらけていくことがある。
ただ不思議なことに、助けをあてにして待つと、助けはやって来ない。悩み迷い、努力しながら祈る人に導きは降りて来るようである。祈るほど魂は洗われ、近づいて来るよきものの気配を感じ取れるようになるからだろう。
導きの不思議な手が近づいて来たら、その手をつかもう。まだ読んでいない本をつかむように。導かれたことを信じて、新しい1行1行を読んでいきたいと思う。