人生とは不思議です。ふとした出会いや出来事が大きな転機となることがあります。よく「偶然に」と云われますが、本当にそうでしょうか。
もし神を信じるなら、偶然等はあり得ません。すべては神に「導かれた」出会い、出来事だからです。私は、自分の人生をふり返る度に、多くの人々との出会いや、特に人生の節目のような出来事の中で神が働かれ、導いてくださったと実感します。
時折立ち止まって、これまでの歩みを味わうと、いつも共にいて導いてくださる神の計らいを感じます。
しかしながら、大きな病気、事故、災害、戦争等は、どのように捉えればいいのでしょうか。
教皇フランシスコは、2019年の訪日の際、東日本大震災の被災者と集い、惨劇に遭った人々の話に耳を傾けられました。そして、「自分の言葉と姿で大勢の人が被った悲しみと痛みを、そして、より良い未来に広がる希望を伝えてくれた」と感謝されました。
とても伝えきることのできない苦しみの分かち合いは、私の胸に突き刺さりました。しかし、それ以上に「震災を通して、失くしたもの以上に与えられたものがあった」という言葉に衝撃を受けました。世界中の人々が心を寄せ、人と人とのつながりで助け合って生きる姿に希望を持つことができたとのことです。
神は、御独り子であるイエスを人間として世に遣わされました。
そして、あらゆる人生で生じうる苦しみと死を越える、復活のいのちを与えられました。それは、どんなことがあっても「あなたはひとりではない」と、一人ひとりに伝え、その愛を人々に広げるためでした。このキリストの愛は、今も多くの人々を導き、人と人とのつながりの中で生かされているのだと、私は感じます。