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導かれて

古川 利雅 神父

今日の心の糧イメージ

 私たちの日々の歩み。それは私たちが自分自身で歩む歩みですが、目に見えないお方に導かれるもの。人の願い、祈りによって紡がれてゆくものなのではないでしょうか。

 ある年のこと、遠出の機会がありました。当初、一箇所に泊めていただく予定でしたが、別の用事も頼まれたため、他の場所にも泊めていただくことになりました。

 出かけて最初の場所に着いた頃、当時そこにいた友人に、「お祖父様が危篤です」と連絡が入り、友人は急ぎ出かけ、間もなくその方は神に召されました。通夜の場所を伺いましたら、次に泊めていただく先のすぐ近くの教会でしたので、私も通夜に参列させていただくことに。

 通夜の後、友人から「あなたが修道院に入る前、マリア様のご像を譲り受けましたが、その後ご像は私のもとを離れ、今はこの祖父の家にあるのですよ」と、そんな話を伺いました。

 通夜の司式をされた神父様はこの縁を耳にされ、翌日の葬儀の司式を「あなたがなさっては?」と仰ってくださいましたので、私は翌日のスケジュールを変更して、葬儀の司式をさせていただくこととなりました。

 聖母像の元の持ち主が通夜の日に近くに来ていたことで参列、葬儀の司式をすることにもなり、友人、ご遺族、そして私自身も神の不思議な計らい、導きを深く感じることが出来た様に思います。

 それは亡くなった方のために祈られた友人、ご遺族へのメッセージにとどまることなく、エピソードを知った私たちへのメッセージで、神は日常の生活の中にあって、色々な形で、様々な出来事を通し、導いておられることを示しておられるのではないでしょうか。

 神の計らいは限りなく、生涯私はその中に生きる。

 神の導き、恵みと祝福が豊かにありますように。