私が小学2年生の冬休みに書いた宿題の日記が見つかったと、母が持ってきてくれました。懐かしい二つ穴のファイルに無造作に閉じられた点字の日記です。
最初は、うんうん、これおぼえてる、などと楽しく読んでいました。しかし読み進むにつれ、ハッと胸を突かれる思いに息を呑んだのです。
先生に言われた通りに書いた作文調子の日記の様相が日に日に変わり、当時の生活や社会・交通事情を活写する「記録」になっていきました。
楽しかった、嬉しかったといった主観はほとんどなく、正月に習った「まる将棋」のルールや駒を触って見分けるときのコツ、凧あげしたときに糸を引っ張られた手の感触、ピアノの発表会に行くまでの交通機関やホールの人々の様子、自分の前に弾いた子たちの曲名などが書いてあります。私自身がうまく弾けたかどうかや、褒めてもらえたか注意されたかには触れず、ご褒美に先生がくださった「太鼓を叩くクマさんのおもちゃ」を克明に描写していました。
規定通りの日記を書くのではなく、描写や分析を表現する作業を楽しく実験していた感じでした。文字は日々書き馴れ、文章もどんどん長くなり、口語体を絶妙に織り込んでいきます。テレビのリポートとエッセイを合わせたような文体で、自分の文章なのに飽きずに読みふけってしまいました。この年齢でここまで読者を引きつけるものを書いていたとは我ながら驚きでしたが、小学生の日記らしからぬ文章だったせいか、大人は誰一人そこに着目せず、当然、褒めてもらえることもありませんでした。
でも、私は確信しました。このころから、私は書くことへと導かれていたのだと。そしてそれは、神様がそっと示してくださった道だったのだと。