地球上にはさまざまな人びとが住んでいます。教会共同体に置き換えてみると、生まれも育ちも性格も年齢も違った、さまざまな老若男女が集まって形成されています。なぜ、神様はこんなにも違った人たちを集められたのだろうか。同じタイプのクローン人間のような共同体だったら、どこの教会にもある悲喜劇に翻弄されることもなかったかもしれないのに...。
けれども、ある時、それは危険な共同体であることがわかったのです。遺伝子工学の第一人者である故坂口健二氏から、「同じ遺伝子を持つクローン人間を創造すると、たとえば、危険なウィルスが蔓延した時には絶滅してしまうから、一人として同じ人間を作ってはいけない」と伺ったことがあります。
さて、私が洗礼を授けてくださった司祭は、面白いたとえで教会の共同体の話をしてくださいました。私たちはミサで、毎回、キリストのおん体である丸いパンの形をしたご聖体をいただきます。初聖体の時に、ご聖体を裂いたひとかけらを拝領したあと、ニコニコしながら、「教会の共同体は大きな鏡です。ご聖体とは丸い鏡を割ったようなものです。その鏡を割ると、そのカケラに一人一人が映ります」とおっしゃったのです。
キリストのおん体をいただき、まったく違った信者同士が、教会共同体として同じ方舟に乗り、嵐にも知恵を出し合い、仲間内の意見の相違も聖霊によってよき選択をしていくのだろう。
今、私たちがしなければならないことは、次の世代を担う青少年のために、神様が創造した存在として輝きを放つために、彼ら一人一人の個性を大切にして半歩後ろから見守り、命の限り与え尽くすことではないかと思います。