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輝く

竹内 修一 神父

今日の心の糧イメージ

 今年の6月11日、地元の方に招かれ、台東区鳥越にある鳥越神社の例大祭、鳥越祭を、楽しみました。小雨が降ったり止んだりといった一日でしたが、軒先に椅子を並べての非日常を味わうことができました。本社神輿の渡御は、4年ぶりとのこと。この神輿は「千貫神輿」といわれ、都内でも有数の重さをほこるそうです。各町内の神輿が担がれていく中、子供神輿も繰り出され、地域一帯が一つとなって喜びが輝き踊っているといった雰囲気でした。

 当日、カトリック教会は、キリストの聖体の祭日。

 イエスは自らを「いのちのパンである」(ヨハネ6・35、48)と語り、それを食べる人は永遠に生きると言います。ここで語られる「食べる」(トローゴー)という言葉は、もともとは、動物が餌にありついてムシャムシャ食べる、といった様子を表しています。

 つまり、それを食べなければ生きては行けない、といった意味合いです。

 永遠のいのち――それは、ただこの世での生命が永続する、といった意味ではなく、真のいのちであるイエスと父との交わりに招かれることにほかなりません。それはまた、聖霊の働きによる愛の交わりそのものです。パウロは、こう語ります。「わたしたちが裂くパンは、キリストの体にあずかることではないか。パンは一つだから、わたしたちは大勢でも一つの体です」。(Ⅰコリント10・16~17)一つのいのちに与るとは、このことです。

 多様性の大切さが語られます。しかしさらに大切なのは、多様性における一致であり、その根拠の確認です。なぜなら、一つであることの根拠は、愛そのものにあるからです。私たちが息を合わせて何かをする時真の喜びが輝き踊ります。それはきっと、皆が心を一つにしてお神輿を担ぐ時と同じではないでしょうか。