私は数年間、特別養護老人ホームでご奉仕させていただいたことがあります。特別養護老人ホームなので、入所されている高齢者の多くは、車いすや寝たきり状態で、日常生活の一部あるいは全てにおいて介助が必要な方々であり、なんとかその日一日を精一杯生きていらっしゃる方もいました。けれども「おはようございます」と肩をさすりながら声をかけると、不自由な身体をなんとか動かしながら、ことばを発してくださったり、目をぱちりと開けて反応を示してくださったり。そうした姿に、私たち職員は一喜一憂しながらその方のいのちに寄り添いかかわり続けていました。
「いつまでも若々しく美しく老いる」。それは誰もが望むことだろうと思います。確かに100歳近くであっても矍鑠として人生を謳歌している方もいらっしゃいます。
「もう残り少ない人生だし、あとは時の流れるままに・・・」と諦めるよりも、「まだ、まだやり残したことがある」と人生の残りの時を豊かに過ごすことは、神様にいただいたいのちを最期まで輝かせるために大事なことなのだと思います。
しかし、人生にはいつか必ず終わりが来ます。人生を振り返って、すべてを「よかった」と言えないこともあるかもしれません。でも私が歩んだ人生をそのまま「よし」として引き受けてくださる方がいらっしゃる。
この世での人生の旅路を終えた後も、永遠のいのちを輝かせてくださる方を知っていることは、お世話をさせていただいた私にとっても、そして不自由な体を捧げながら最後の日々を過ごしている方々にとっても大きな慰めであったことを今あらためて思い返しています。