人の言葉で急に淋しくなったり、腹が立ったりすることは誰にでもあります。「私も若い頃、同じようなことを言ってしまったなぁ」と思えるとすぐにゆるせますが、そう思えないときは「イエスさま、あなたが私をゆるしてくださったように私もゆるしたいのです」と祈ります。それでも感情が収まらないとき、私はロザリオを祈ります。
ある集まりで、知り合いから、心ない言葉を耳にして傷ついたことがありました。メールで私がどう感じたかを伝えようと思ったのですが、ふと、前にも似たようなことがあったのを思い出しました。きっと、伝えてもわからないかもしれない。
私は電車のつり革につかまっていて、何気なく右ポケットに手を入れると、ロザリオが指に触れました。ひと粒ずつ珠を繰って祈り始め、ぐるりと一回りすると、火が燃えていたような心が平静にもどっていました。ふしぎでした。わずか20分しか経っていないというのに。
悪魔が私を焚き付けていたのです。ロザリオで祈ってよかったと思いました。
創世記3章にはこうあります。「お前の子孫と女の子孫との間に敵意を置く」。(参 3・15)
女の子孫とは聖母マリアのこと、お前の子孫とは悪魔のことです。この後には、聖母が悪魔の頭を踏み砕く、と解釈できる表現が続きます。憎しみや怒りを焚き付ける悪魔に打ち勝つのはキリストの母、聖母マリアさまなのです。聖書のこの預言は、確かに私にも実現しました。
ロザリオは「アヴェ・マリア」から始まる言葉で、聖母に「どうか神さまに、祈りを取り次いでください」と、50回以上くり返し願うことだからです。とてもよく聞き入れられます。