帝国劇場の舞台で『近松心中物語』の劇中歌、作詞:秋元松代、作曲:猪俣公章、歌:森進一の「それは恋」を生で聴く機会があった。『近松心中物語』の劇中歌を演歌歌手の森進一が駆けつけ、舞台で歌ったのだ。
当時、この劇に群衆の一人として出演していたので、劇中歌を何度も聴いていたが、生で聴くのは初めてだった。聖堂でグレゴリオ聖歌を聴くような親近感を抱いた。
ある時、森進一氏は歌をうたう時にもっとも気遣う点を尋ねられて、「歌詞やメロディーではなく、自分の声が聴いてくださる方に心地よい状態で届けられるように努めている」と言っていた。生で聴いて感じたのは霧のような声に包まれることだった。一方、作曲家の猪俣公章氏はあるインタビューで「作曲の原点となるものは何か」と聞かれた時、「母親が幼い自分に歌ってくれた子守唄をいつも意識している」と答えていた。
猪俣公章氏の作曲が、赤ん坊を寝かしつける時の母の手の間隔と似ているとは思ってもいなかった。そういえば、猪俣公章作曲のあの歌もあの歌も子守唄なのだ。母親が「ぱたっ、ぱたっ」と子をあやす手と同じ感覚で作曲していた。
私はどちらかといえば、オペラ歌手のマリア·カラス、ロック歌手のジャニス・ジョップリンなどを聴くのが好きなのだが、猪俣公章が作曲し、森進一の歌う演歌が、グレゴリオ聖歌に似ているのを発見した時には心底驚いた。
カトリック信者であることはあまり知られていないようだが、歌手の前川清も同じような、修道院で歌われているような歌い方をしていることがある。
イエスさまはどのようなお声だったのだろうか? 親近感のあるお声、しかも魂を安堵させるような話し方だったと思う。