神さまはいつでもどこでも私たちの心に住まわれているのに、私たちは気付かずに過ごしていることが多い。あとから考えると、あっ、あの時、神さまが呼びかけてくださったのだと思い当たることがある。
例えば小さい事でいえば、電車に乗っていて、身重の人や、身体の不自由な人や、とても高齢だと思われる人が乗って来た時、すぐに席を立って、どうぞといって席をゆずるのは、心の中に神さまが住まれていて、ほら、席をゆずりなさいと呼びかけられたのを聞いたからだと思う。
また、現在、恵まれていない人たちに献金をさせていただくのも神さまから呼びかけられているからだと思う。
大きいことでは神父さまやシスター、ブラザーははっきりと神さまからの呼びかけをきかれたことだろうと想像される。
五島の父母はいつも言っていた。
「神さまが心に住まわれて、いちいちこげん時はどげんしたらよかかと教えてくるっけん、貧乏世帯じゃっとに、人に世話ができるとよ。」と。
突然、大勢の泊まり客が来ても、父母は思い悩むことなく、すべて受け入れていた。
食料が足りないとか、ふとんが足りないとか、そんな冷静な判断をすることもなく、「上がんなはれ、食べなはれ、泊まりなはれ」と歓待するのだった。すると心配していたことが神さまの力でとり払われて、男の人同士、女の人同士、が笑いさざめきながら同じふとんに寝るのだった。
私たちは昔の人に比べると、今や、王侯貴族のような暮らしをしている。なのに、自分たちの暮らしを守るのにきゅうきゅうとしている。
自分の心に呼びかけられている神さまのお声に気がつかなくなってしまっているのは悲しい。