「インターネットの普及で、世界中、どこにいても色々な人や場所とつながり、直接、対面で会わなくても人とのつながりを持つことができるようになり、コロナ禍にあったこの2、3年は、その便利さをとても実感させられました。
しかし、インターネット上での「つながり」では「ふれあい」はできません。「ふれあい」は、「赤ちゃんとお母さんとのふれあい」「猫とのふれあい」「自然とのふれあい」と言うように、人と人、あるいは動物や自然など、直接ふれあう生身のコミュニケーションがそこにはあります。たとえことばを交わしあわなくても、そのものが持つ体温の温かさが、離れた後もじんわりと残ります。
高齢となり人と話したり、人の話を聞くということが難しい状況にあっても、そっと手を握ったり、背中をさすったりするだけで、安心感をもたらすことがあるように、何気ない会話や眼差し、ふれあいがそっと心の寂しさを癒してくれる時もあります。
イエス様の治癒奇跡の場面を思い起してみると、イエス様が直接、病気の人に触れたり手を取って起こしたりして、イエス様と病気の人との肌と肌とのふれあいをそこにみます。ことばを介さなくても、触れたその肌の冷たさ、こわばりからイエス様はその人の人生そのものに触れ、そしてゆっくりとイエス様の肌のぬくもりに近づけているような、そんな気がしてします。
「人肌程度に温める」ということばがあります。それは、手で触ってみて、ほんのり温かく感じる程度の温度を指しています。インターネット上での「つながり」では、つかみ取ることのできない大事な感覚なのだとつくづく思う今日この頃です。