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ふれあい

松尾 太 神父

今日の心の糧イメージ

 五感の中でもとりわけ触覚は、一人ひとり、一期一会で感じ方の違う極めて主観的な感覚だと、触覚の共有について研究している大学教授の田中由浩さんは言います。

 幼い子どもたちの様子を見ていると、相手がどのように感じるかがわからず、やさしく相手にふれているつもりが、相手をひっかいてしまったり、たたいてしまったり、というようなこともあります。それで、しばしばけんかもおきます。でも、ふれられ、ふれることで、自分の感じ方、人の感じ方がだんだんわかるようになってきます。すると次第に安心して過ごせるようになってくるようです。

 もし、母親からも抱いてもらえず、他の誰からも全くふれられないならば、その子は死んでしまうといいます。

 触覚は、皮膚が振動することで感覚に伝わるそうです。言葉もまた、鼓膜だけでなく心がふるえるときに、ほんとうに伝わったという感じがします。

 顔面から転んでしまって泣きじゃくる子どもの背中をお母さんがやさしくさすってあげると、いつの間にか泣き止みます。からだのふるえを共有するからかもしれません。どうしようもなく悲しくて泣いているとき、友だちに「大丈夫だよ」と言葉をかけられると、ほっと安心します。心のふるえを共有してくれたからなのかもしれません。

 イエスは、ふれてはいけないと言われ人間扱いされていなかった、重い皮膚病にかかった人に「手を差し伸べて」(マルコ1・41)ふれます。イエスは、その人にふれることで、からだと心のふるえを共有しました。すると、その皮膚病はいやされたのです。

 ごく主観的といわれる触覚をとおして、互いにふれあい、ふるえあう中で、わたしたちは独りではないことを知り、愛に潤された人間に変えられていきます。