新型コロナウイルスの感染が拡大する前の2019年夏、私は長野県軽井沢町で行われた、韓国と日本のキリスト教詩人の交流会に参加しました。
丁度その頃は韓国と日本の関係が政治的に悪化しているというニュースが連日、報道されていました。しかし、詩と文学を愛し、信仰をもつ心は国境を越え、とても豊かな三日間の交流となったのです。
両国の詩人の講演や分かち合いがメインでしたが、二日目は軽井沢の文学やキリスト教にゆかりのある地を巡り親睦を深めました。その晩、私は韓国の穏やかな詩人Kさんと様々なことを語り合った後、一人で庭に出ました。そして、両国の間に戦時中の哀しい歴史があったことを思い、気がつくと涙が止まりませんでした。
最終日の前夜、夕食後に一人ずつ順番にあいさつをしました。私は感謝の思いを述べた後、次の自作の詩を朗読しました。
「 木魂 」
聖霊は、私をつらぬく光
やがて-は+に変わる
私ではなく、御業によって
読み終えると、韓国の詩人の皆さんから温かな拍手が会場に響き、私は深く頭を下げたのでした。
コロナ禍が過ぎつつある今、日本社会も国際情勢も多くの難題があります。しかし私は、軽井沢での交流会で「詩の心」を共有した時、国境を越えて互いにふれあった瞬間が確かにあったことを忘れません。
〈神様の御業は、これからの時代にも働いてゆく〉という希望を信じて、私もこの両手を合わせたい――。そう願うのです。