2020年春のイースターは寂しいものだった。イエス・キリストの十字架の死と復活により世が救われた大祝日なのに、教会で讃美歌も歌えず、友人と喜び合うことができなかった。前年の暮れに発生した新型コロナウイルスの猛威で国々や街が閉鎖され、日常生活も息苦しく閉ざされていたからだ。
帰宅してしょんぼり小さな祭壇の前に座っていると、目の前の小さな写真のイエス様がじっと私を見つめておられるのに気が付いた。そのまなざしの優しさに吸い込まれた。
ああ!イエス様はこんな風にいつも私を見つめ、見守って下さっているんだ!と思った瞬間、胸の奥から喜びが沸きあがった。
「そうだ!イエス様に直接イースターの讃歌をお捧げしよう!」私は天を仰いで大声で歌った。
【喜び歌え アレルヤ アレルヤ み名の栄を褒め歌え 賛美の歌を 賛美の歌を 捧げよ わが主に アレルヤ アレルヤ】歌いながら私は満面の笑顔になってイエス様も微笑まれたようで、気持ちが通じた気がした。
そして「心のともしび運動」に貢献された作家の田中澄江さんのことを思い出した。
晩年まで山歩きをされて、息を切らしながら「キリちゃん、キリちゃん」と小声で言っているので同行の方が「キリちゃんて何ですか?」と伺うと、「キリスト様、助けて!と祈っているの」とのことだった。
神の御子イエス様を「キリちゃん」と呼ぶほど親しく祈っておられたのだ。大親友のようである。
イエス様は私たちを「友」と呼び、「いつも共にいる」(参 マタイ28・20)と約束された。全ての人を愛される慈しみ深いイエス様は、未熟で弱い私にも優しい眼差しで希望の明日を悟らせて下さった。
我らの友・イエス様に祈り、お導きを願おう。