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友との別れ

林 尚志 神父

今日の心の糧イメージ

 「みんな年取っていて、コロナだし、葬儀には行けない、ですって。なんか冷たいんですよ」。米寿間近の小学校、いや国民学校からの友が帰天した直後の、娘さんからの電話でした。

 都心のコロナ感染は未だ続き一泊しないと往復は無理だし・・。都心の定宿もクラスターに成っていました。弔電でお祈りしようかとも思いましたが。「骨を拾わない、と言うことはないよな」と心が言っていました。十分注意をして新幹線で都心へ、駅前ビジネスに泊まり、同窓会幹事をしてる同級生と会い遺族への代表挨拶を頼み、彼の事務所の冷蔵庫の中のつまみとビールで夜は更けました。

 都会の斎場は葬儀と火葬場が一ところで、荼毘に伏すまで残れました。娘さん二人と孫息子、新聞記者の人生を大学教員として締めくくったので、教え子が三人残っていました。

 僧侶の教え子が終始お経を唱えていました。私はビールの缶を開けて、思い出話に花を咲かせる役を買って出ました。やがていろんなことの吹っ切れるお骨上げの時がきました。そして友の遺骨を拾いました。

 以前、高校時代の友が山で遭難死をしたことがあります。4か月後に遺体が発見され、仲間に背負われて麓に下り、星空を焦がして天に帰りました。私はその場にいる事が出来ず、お骨を拾えなかったことが若き日の悔恨として残っていましたので、その思いも重ねました。

 もう少し生きて、じっくり分かち合える土産話をもって後から行くからと別れを告げました。友のお骨を拾うことが出来て、言葉に成らない遺族との心合わせも出来て、帰りの車中の人になりました。生きていて、友の骨を拾えて良かったと思いました。

 温かく深い息の出来る、ひと時を貰ったことに気付きました。