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親近感

今井 美沙子

今日の心の糧イメージ

 私がまだ五島にいた小・中学生の頃、カトリックではない友だちによく言われたことがある。

 「美沙ちゃんの信じちょる神さまは、私どんからすれば、おとろしか(恐い)。十字架につけられて、胸ば槍で突かれて死んだとじゃもん。こないだ教会に連れて行ってもらった時、そん顔が苦しそうで、おとろしゅうて、おとろしゅうて。じゃけん、神さまっち言う、親しか気持ちにはなれん」

 私は先祖代々のカトリック信者の家に生まれたので、物心つく頃には十字架上のイエスさまのお姿にはすっかり慣れていた。

 しかし、思春期の頃、仲の良かった友人にそう言われて、私もはたと考えた。

 確かにイエスさまは神さまのお子さまだから、人間のお姿はしていても並の人間ではない。海の上を歩かれたし、様々な奇跡も行なった。

 イエスさまという時、畏敬の念は抱いても、親近感を抱くことは少なかった。

 そしたらマリアさまはどうであろうか。
 フランスのパリのバック通りの修道院に御出現されたマリアさまは、きらびやかな宝石を身につけ、女王然としたやはり畏敬の念を感じさせるお姿である。

 そこでヨゼフさまを登場させたい。
 ヨゼフさまが、イエスさま、マリアさまに加わると、突然、親近感が湧くのである。
 幼いイエスさまを育てられているヨゼフさまとマリアさまのお姿を黙想すると、自然と顔がほころぶし、ヨゼフさまが病に倒れた時、イエスさまとマリアさまが協力して心からの介護をされているお姿を黙想すると涙がにじむ。

 聖家族として御三人を黙想すると、ここそこにいる生身の人間としてのあたたかさが伝わってくるのである。