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生きがい

堀 妙子

今日の心の糧イメージ

 買い物に行き、大荷物になった。近道の土手をくだったとたん、足を滑らせ、左足首を骨折した。外科病院の医師から全治2カ月と言われ、部屋で養生することになった。病院への送り迎え、食物の調達など、多くの人たちに助けられ、仕事も何とかこなした。その間、黙想をする時間がたっぷりとあった。

 聖書には聖パウロが書いた「ローマの信徒への手紙」がある。その8章20節には、「被造物は虚無に服していますが、それは、自分の意志によるものではなく、服従させた方の意志によるものであり、同時に希望も持っています」という箇所がある。この2カ月、過ぎ去った日々を思い巡らしていると、人は皆、「虚無に服している」と思った。少なくとも私自身の「虚無」を埋めるものは何か?そして「虚無」を体験されたイエスは何をもって、人間となり生きがいとされたのか?

 人生は、何か幸せなことが訪れてもすぐに消え、また苦しみに出会う。かと言って苦しみが続くわけではなく、それも過ぎ去る。そういえば、この人に見てもらいたいと思うから何とか生きて来たのに、この10年のうちに、ほとんどの人が天国に舟出をしてしまった。

 十字架上のイエスを見つめていると、このお方こそ見捨てられた虚無のなかにいらっしゃる。それを満たすものは何か? 

 20世紀のもっとも重要な小説家の一人であり、詩人のジェイムス・ジョイスの言葉が、私の2カ月の黙想を経て一日過ぎた時、天からの光として私の魂に射し込んだ。

 ジョイスは、「愛は、愛を愛することによって愛する」と言い切った。

 この言葉こそ、キリストを信じる者の生きがいになる。

 真の愛は、愛以外の何ものも愛にはなり得ないのだ。