両親を早く失くし、皆に可愛がられ何も不自由はなかったが、心の奥に寂しさの空洞があり、両親のいる友達が羨ましかった。子どもの大勢いる普通の家庭に憧れた。
思春期までは優等生の良い子ちゃんだった。しかし我が儘で負けず嫌いな自分に自己嫌悪。高校時代、登校拒否して死にたくなった。
医者の伯父から「千恵子が一人で世話をするように」とカナリヤを贈られた。仕方なく起きて雨戸を開け、軒先に吊すと、雄鳥がいい声で鳴きだして、生きる命を吹き込まれた。雌鳥も卵を産み、5羽の雛が孵り親鳥が練り餌を雛に与え、みるみる育ち、籠を分けると雌鳥はまた卵を産む。それを3回繰り返し、私は15羽のカナリアの世話に明け暮れていつの間にか元気を取り戻し、一年遅れて復学した。
小さな命を育てる喜びを知った私は優等生の殻を脱ぎ、モダンダンス部で踊ったりして高校を卒業。短大の家政科で洋裁や調理を学び、従兄弟の親友と結婚。長女を入れたカトリック幼稚園で万物の創り主である神を知った。
一方、旧満州生まれで終戦の価値観大逆転を経験した夫は、キリストの教えに真理の光を見出して洗礼を受けたいと言い出した。
「神の招きです。どうか奥様もご一緒に」との神父様の勧めを、私は拒否した。カトリックに偏見を持っていたからだ。
しかしキリストの光は私の心の闇を照らし、寂しさの空洞を満たして素直な心に変えられ、一家でカトリックの洗礼を受けた。
以来、人間の枠を遙かに超えた神の視点で自分の心や物事を客観的に見ることが出来るので、子育ても楽になり、全てを委ね、感謝して生きる信仰生活に生きがいを感じるようになった。
祈ると、神は全てを善に変えて下さる。これは大きな喜びである。