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生きがい

片柳 弘史 神父

今日の心の糧イメージ

 先日、高齢の神父たちが介護を受けながら生活している修道院を訪ねた。最近まで一緒に働いていた高齢の神父がそこに移ったので、近くにいったついでに様子を見に寄ったのだ。

 わたしが部屋に入っていくと、九十歳を過ぎたその神父は、ベッドに寝ころびながら、なにか難しそうな本を読んでいた。彼の趣味は、ヘブライ語やギリシャ語を研究し、聖書の意味を探求することなのだ。

 「ここでの暮らしはどうですか」とわたしが尋ねると、その神父はにっこり笑って、「ここは天国だよ」といった。好きな聖書の研究も存分にできるし、食事や入浴は介助してもらえる。静かな祈りの時間も十分にとれる。「いいことずくめで、申し訳ないくらいだ」というのが、彼のいつわらざる思いのようだった。

 この修道院に移るときに、「引退する」という言い方は決してしない。神父としての最後の使命、祈るという使命を与えられて、この修道院に派遣されるのだ。祈ることからすべてを始めるのは、どんな年齢でも神父にとって一番大事なことだが、ここでは祈ってから何かをするのではなく、祈ること自体が使命になる。自分の健康を神に感謝して祈り、苦しみの中にあるすべての人々のために祈る。それが彼らの使命なのだ。

 まだ比較的若いわたしは、そのような修道院に移って世間との交わりがなくなったとき、生きがいを失ってしまわないだろうかと不安を感じる。しかし、この神父の笑顔を見て、それは取り越し苦労だと気づかされた。読書や祈りを通して神さまと深く交わり、ひたすら人々の幸せを祈って生きる。それは、十分に生きがいのある、とても魅力的な生活だ。

 わたしもいつか、そんな生活に入ることができたらすばらしい。