若い頃には生きがいについて原稿を求められると、その時々で、様々なことを書いた。
原稿を書くこと、本を読むこと、気の合った友人とおしゃべりすること、飼い猫と遊ぶこと・・・。
しかし、76歳を過ぎた今、私が心から生きがいと感じるのは、祈るときである。
子どもの頃、「祈りはさ、場所も道具もお金もいらんとよ。特別な用意はせんでもよかとよ。自分の心一つで神さまに通じるとじゃけん」と父母は言っていた。
当時の福江教会の松下神父さまは、当時「けいこ部屋」と呼んでいた教会学校の子供だちに「心は地球ば包めるくらい広か」と教えてくれた。
そして、「人間の心はジェット機よりもロケットよりも光よりも速く飛ぶことができるとよ。じゃけん、目ばつぶって祈ればさ、すぐに神さまと語り合うことができるとよ。祈らんばよ。祈らんばよ」と教えてくれた。
それは言葉では知っていたが、実感したのは、8年前、大腸ガンの手術をして以降である。
ベッドの上での入院生活、家に帰ってからの養生生活。それまでのように活発に動き回ることができなくなって、あらためて幼い日に教えてもらった祈りについて考えたのである。それ以来、祈るのが本当に楽しくなった。
道を歩きながらも祈れるし、電車に乗っていても祈れるし、果ては、お風呂に入りながらでも、布団の中でも祈れるのである。
場所も道具もお金もいらず、自分の心ひとつで楽しいひとときが過ごせるのである。
晩年の母は病院のベッドの上で、子どもたちのため、孫たちのため、先祖のため、ゆかりの人々のために祈り続けて帰天した。
私も母のように祈りを生きがいにしたい。