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復活の体験

崔 友本枝

今日の心の糧イメージ

 ずいぶん前の話だが、私には怖い先輩がいた。ニコリともせずにはっきりとものを言う人で、注意などされると心に突き刺さる感じがした。だから、なるべくその人と話さないように気をつけていた。時には家に帰っても顔が思い浮かぶので、「恐れから自由になるにはお祈りしかない!」と思い、彼女のために祈った。祈りはその人の中にスーッと入っていく感じがした。

 そのうちに、ちょっとした出来事が起きた。今ではくわしくは思い出せない。ほんの些細なことだった。だが、気持ちがなければ、決してできない親切を彼女が私にしてくれたのだ。なんて優しい人だろうと思い、嬉しくなった私は心から感謝を述べた。すると、薔薇の花が突然、あでやかに花びらを大きく広げるように、美しい笑顔が彼女の顔いっぱいに浮かんだ。私はその美しさにまた驚いた。

 なんてデリケートな人だろう。私の言葉一つで、これほどきれいな笑顔が生まれるなんて。それから私は彼女が大好きになった。
 これは私にとって、大切な「復活の体験」になった。
 「復活」とはキリスト教の要だ。もとは、イエス・キリストさまが、十字架にかけられて亡くなった後、葬られて三日目に弟子たちに現れたことをいう。

 しかし、壊れてしまった人間関係が修復したり、誤解がとけたりすることも「復活」だと言っていい。そこには神さまの力が働いているからだ。イエスさまはきっと「大成功だね!」と言ってくださったはずだ。

 とてもちっぽけな私たちに、偉大なイエスが望んでおられるのは、「互いに愛し合いなさい、私があなた方を愛したように」ということだから。