神よ、私をあなたの平和のために用いてください。
憎しみのある所に 愛を 争いのある所に 和解を
分裂のある所に 一致を 疑いのある所に 真実を
絶望のある所に 希望を 悲しみのある所に 喜びを
暗闇のある所に 光を
もたらすことが出来ますように助けて下さい。
神よ、私に
慰められることよりも慰めることを、
理解されることよりも理解することを、
愛されることよりも愛することを望ませてください。
私たちは 与えることによって与えられ、
すすんでゆるすことによってゆるされ、
人のために死ぬことによって
永遠に生きることが出来るからです。アーメン。
この『平和の祈り』を毎朝修道院でお祈りしています。
愛も、和解も、真実、喜び、光、慰め、理解、与える事も、全て根底にゆるしが必要であることを教えている様に思います。そう簡単ではありませんが、神様の存在を認め神の恵みによって出来る事を、私たちは知っています。ゆるしとは、私たち弱い人間に残された、何が無くても誰でも平等に、その場、その時に、必要に応じてできる大いなる善の行為だと思います。尚且つ「ゆるし」そのものは、神様のみ旨であり、それは果てしなく続く平和に繋がるものだと感じます。
もし、この世に「ゆるし」がないなら争いと競争と憎しみが起こり、恐怖へと変わるでしょう。
人間は皆、ゆるされてゆるして「お互い様のお蔭様」で生きている事を知っています。だから私も素直に「ごめんなさい」が言えますように。そして平和な心を少しでも早く取り戻せますように。
主よ、その信仰と力を下さい。
主の平和が、一人でも多くの人に繋がり本物の平和に繋がって行くように、この『平和の祈り』を 心を込めて日々祈りたい。