東京の人口は現在、推定1403万人だそうだ。ビジネスや観光で訪れる人も多いが、都会に住んでいる人はどうやら2種類に分けることができるらしい。すなわち「道をよく訊かれる人」と「決して道を訊かれない人」である。
以前、20代と思われる男性二人の立ち話が聞こえてきたことがあった。まさに東京の真ん中の銀座、二人は同じ職場に勤める同僚らしい。一人は、道を訊かれることが多くて困ると言っていた。イヤホンをしていても、声をかけられるし、急いでいて小走りになっているのに、追いかけて来て道を訊かれるのだそうだ。もう一人は、「僕は一度も訊かれたことがないなあ」と少し得意そうであった。「僕は歩いていても、隙がないからね。君はどこか抜けているから。つまり、隙があるんだよ。」
二人とも有能そうで格好もよく、それぞれイケメンである。だが、私も道を尋ねるなら、その「よく訊かれて困っている」人の方に尋ねるだろうと思った。彼なら「自分には隙がない」と言って優越感を持つような同僚とは違い、頼まれれば親切にする人だろう、という気がしたのである。
私たちは道に迷った時、どんな人に教えてもらおうとするだろうか。まず「知っていそうな人」を選ぶだろう。そして「話しかけやすい、親しみを持てる人」に訊くのではないだろうか。その人は「何かが抜けている」のではなく、「悪意が抜けている」のだ。「隙がある」のではなく、「他者のために心をあけてある」のだ。
私たちは、直感的に善き人々が分かるのだと思う。道を訊くことで、私たちは人の善に触れ、束の間を親しむこともできるのだと思う。