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ゆるし

植村 高雄

今日の心の糧イメージ

 学生時代の友人がこの世からどんどん去っていきます。新聞報道の国際政治面では哀しいニュースが沢山流れてきます。

 ニュースばかりでなく、自分の日々の思考、感情。行動の面でも、過去を振り返ると、「神さま、ゆるしてください」の連発です。もし、私が洗礼を受けていなかったとしたら、「神さま、ゆるしてください」と願うことで心安らぐという生活を知らないまま生涯を送ったかもしれません。祈れる私は幸せ者です。

 さて、今から想うと、青春時代とは何と激しい喜怒哀楽の生活だったことか。これも神様がよかれとお考えになっての配慮なのでしょうか。

 30才を過ぎたころから、何故か真剣に「真善美」とか「喜怒哀楽」の意味について考え始めました。

 そうすると何となくぼやーとしていた日常が目的性のある日々へと変化しだします。その楽しい思索が生き甲斐となり、何かに焦点付けされてきて、自分の人生での方向性が定まったような安定感を抱き始め、生きていて本当に良かったなあという感情が増えだしました。同じ夜空を眺めても、森の散歩にしても、今までと違う深い感覚が日常を占めだしたのです。何が真理か、何が善いことか、美しい音楽や絵画を五感で味わいだしたようです。

 旧約聖書の雅歌やヨブ記が私を元気にさせてくれました。

 今まで「ゆるしてください」と祈った内容を色々点検すると、自分の体験の解釈が間違っていたようです。祈る内容を冷静に分析し、「ゆるしてください」ではなく「有難うございました」に変換できると、自分の人生でも「ゆるしてください」ではなく、「有難うございました」に変えたほうがいいなあと思うようになりました。