ラジオ放送のテーマ「ゆるし」をひらがなで頂いた。この言葉の二つの漢字と意味の違いをドイツ人神父様に教わった事を想いだした。「許可のきょ」と「恩赦のしゃ」。
40年前、新米信者の私に神父様が問われた。「湯川さん、神様は人間の罪をゆるしていますか」ドキッとして「心から謝ればゆるしてくださると思います。」すると「いや!神様は決して人間の罪を許可しませんよ。」そして私が「主の祈り」の中の「おゆるしください」に許可の方の字を書いている箇所を指差して、「ここは恩赦の赦の字を使うべきです。」と諭された。
読み方は同じでも、神が罪を犯すことを許可されるはずはなく、犯した罪に対して神が慈しみの心で与えてくださる特別な恵みが、恩赦の赦の「ゆるし」なのだ。
神はご自分の似姿として人を創り、愛された。その親密な愛の関係が人祖アダムとイヴの反逆で壊されてしまった。神は元の完璧な人類との愛の関係を取り戻すために御子イエスをこの世に遣わされた。イエスは天の御父の深遠な愛のご計画実現のために、貧困や差別、誤解や侮辱、孤独、裏切りなどを人として体験されたが、相手を赦し、全人類の罪を贖うため十字架上でいのちまで捧げられた。その苦しみの最中でも「神よ、彼らをお赦しください。」と迫害する者のために祈られた。(参 ルカ23・34)
この究極の愛の犠牲により、人類は罪から解放され、神の無限の愛をいただき、神のいのちと共に永遠に生きる天国の喜びと平安を与えられているのである。
死に打ち勝って復活し、今も私たちと共に生きておられ、誘惑に弱い私たちの罪を何度でも赦してくださるイエス様。
賛美と感謝を捧げ、私たちも互いに赦し合って日々を喜びと平和のうちに生きてゆきたい。